情報・システム研究機構シンポジウム2011開催にあたって

 

 

統計数理研究所 丸山 宏

 

 2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所の事故においては、「想定外」という言葉が多く使われました。私たちの社会が持続可能なものであるためには、様々な外界の事象に柔軟に対応していなかければなりません。それらの事象の中には、想定されていたものも、想定されていなかったものもあるでしょう。そもそも「想定外」とは何でしょうか? そのような事象に対して、私たちはどのような備えをすればよいでしょうか? このシンポジウムでは、多様な観点から「想定外」とそれに対する対策を考え、その本質を議論します。

 「想定外」とされるものに関してもいくつかタイプがあるようです。1933年の昭和三陸地震による津波では、最大遡上高は、海抜28.7mを記録したそうです。ですから、大きな津波が来る可能性があることは、事前によくわかっていたはずです。それでは、何メートルの高さの防潮堤を作ればよかったのでしょうか? いずれ来るとわかっていても、例えば高さ40メートルの防潮堤を作ることに現実性があったでしょうか?想定はされていても、工学上・経済上の観点から「想定外」にせざるを得ない事情があったのかもしれません。シンポジウムの最初のセッション「想定外の数理」では、このように稀で影響の大きい事象について、統計数理でどのような研究がされているのかを統計数理研究所の川崎准教授がわかりやすく解説します。また、同じく統計数理研究所の椿教授は、「想定外」をどのようにリスク管理に組み込んでいくかについての考え方をお話しします。

 東京大学工学系研究科 緊急工学ビジョン・ワーキンググループ 「震災後の工学は何をめざすのか」では、「今回のような震災に立ち向かうためには、災禍の損害から早期の機能回復が可能な技術社会システムを実現するための、レジリアンス工学とも呼ぶべき新分野を確立しなければなりません」と述べています。レジリエンスとは、環境の大きな変化に対して、一時的に機能を失ったとしても柔軟に回復できる能力を指す言葉で、生物生態学の世界ではよく知られた言葉です。地球の長い歴史の中で、生物は多くの事象に対応してきました。たとえある種が絶滅しても、他の種がその隙間を埋めて生態系を維持してきたのです。本シンポジウムの2番目のセッション「生物に学ぶレジリエンス」では、遺伝学研究所の北野特任准教授が、生物がどのように外界の脅威に対応してきたかを、「イトヨ」という淡水魚の具体的な例を挙げて示します。また、新領域融合研究センターの馬場特任准教授は、大腸菌の遺伝子の詳細な分析から、生物に組み込まれたレジリエンスのメカニズムを紹介します。生物がどれほどの冗長性・多様性を維持しているか、それがいかにレジリエンスに結びついているかを、このセッションを通して知ることができるでしょう。

 人工物のレジリエンスについては、今までどのような取り組みがなされているでしょうか?人工物の回復力という観点で最も進んだ考え方を持っている分野の一つが、通信ネットワークの分野です。通信ネットワークは、常に通信の輻輳、機器の故障、通信ラインの切断、悪意のある攻撃者からの攻撃などの脅威にさらされています。国立情報学研究所が運営する学術ネットワークSINETは、東日本大震災においてもサービスを提供し続けました。国立情報学研究所の漆谷教授は、実際のコンピュータ・ネットワークの運営の経験から、ネットワーク運営において何を想定内と考え、また想定外にどのように対応するかのベストプラクティスを議論します。想定内の事象については、予めそれに対する対策を用意しておくことができます。しかし想定外の事象については、それが想定外であるために、自動的な対応は難しく、どうしても人手による介入が必要になってきます。小惑星探査機「はやぶさ」は数多くの想定外の問題に見舞われましたが、JAXAのチームがその度に創造性を発揮して対応しました。人の社会行動について研究する国立情報学研究所の岡田准教授は、システムの運用に携わる人材育成という観点から、レジリエンスの本質に迫ります。

 「想定外」への対策はいくつも考えることができます。企業や政府がすぐに手を打つべきことも多くあるでしょう。一方、私たちは科学者として、「科学をする目」を持って「想定外」とは何か、レジリエントなシステムの本質は何か、を見極める必要があると思います。自然や生物、社会システムなど、私たちは本質的に複雑なシステムを相手にしています。そこには、私たち人類が未だに理解できていない、共通の原理や法則があるかもしれません。そのような新しい科学ができれば、私たちの社会は想定外の事象に対して飛躍的にその耐性を高めるでしょう。日立製作所の主管研究長、矢野博士は、本シンポジウムの基調講演で、私たちがもう一度「サイエンス」の原点に戻って問題を問い直すことの重要性を指摘してくれます。

このシンポジウムが、レジリエンスに関する科学の議論の端緒になれば、幸いです。