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情報・システム研究機構シンポジウム2019

講演5

【第1部】宇宙と地球、生命のシステムを解き明かすデータサイエンス
    「蛋白質の構造データから迫る生命の不思議」

 千田 俊哉(高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 教授)

 高エネルギー加速器研究機構では、放射光を利用してタンパク質の立体構造を原子分解能で明らかにする研究を推進している。また、電子顕微鏡の大幅な進歩もあり、これを利用してタンパク質の立体構造を明らかにする研究も進んでいる。 

 今、多くのタンパク質の立体構造情報が利用可能になり、研究の方向性も分子だけの研究から、分子と分子の関わりの研究、そして分子社会(=細胞)と分子の関わりの研究へと大きく発展している。 

 タンパク質の原子分解能の立体構造がどのように生物学に生かされ、新しい研究分野を切り開くのか。高エネルギー加速器研究機構に所属する生物学者が説明する。 

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■小さな手を使えば小さな物に触れられる

 物事の仕組みを知る一番簡単な方法は、バラバラにすることだ。物質であれば、それを構成する部品を調べる。生物もバラバラにして調べられれば、いろいろなことを深く理解できる。 

 「生物は細胞の集まりで、それをさらにバラバラにしていくと、いろいろな分子がそこにあります。タンパク質もその一つ。この分子は生物の細胞にとって最も重要な部品で、私たちの体の中に何万種類もあり、さまざまな働きを担っています」と千田俊哉教授(高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所)。 

 ただ、タンパク質は小さい。分子量が15,000ほどのリゾチームというタンパク質を仮に1円玉まで拡大する倍率は、人間が地球くらいの大きさになる倍率と同じ。それくらい小さい。 

 通常、物を見るときは光を使う。波長の短い光を強く当てるほど、物をよく見ることができる。しかし、私たちが日常生活で使っている可視光ではタンパク質は見えない。 

 「そこで波長の短いエックス線などの光を強く当てます。小さな手を使えば小さな物によく触れられるのと同じようなものです。KEKには『フォトンファクトリー』という放射光の施設があり、強いエックス線を取り出して物に照射でき、タンパク質の結晶構造を解析できます。また、最近は電子顕微鏡の技術も発達していて、これも使ってタンパク質をより詳しく調べています」 

■タンパク質の変異体でがん細胞を止める

 では、タンパク質の構造を深く知ることがいったい何の役に立つのか。「例えば、胃がんの原因となるピロリ菌は、胃の中で体内の細胞に病気を引き起こすタンパク質を入れてしまいます。私たちは、このピロリ菌がどのように細胞と結合するかを調べ、その仕組みを細かいところまで明らかにしてきました」

 この研究成果は、やがて治療薬の開発などにつながるはずだ。さらに、千田教授らはタンパク質の性質を調べるたけの研究から、細胞におけるタンパク質の役割を調べる研究に移行しているという。タンパク質のみを細かく見るだけでなく、タンパク質が細胞の中でどのように働くかを調べることができれば、生命についての理解をより深めることができる。 

 「具体的にどうやるのか。一言で言えば、タンパク質の変異体を作って、その表現型を解析するのです。私たちが今研究しているタンパク質の一つは『GTPセンサータンパク質』です。体内には、エネルギー分子の一つであるGTPを調節する仕組みがあり、GTPセンサータンパク質が関わっています。このタンパク質の分子の形を調べて、あえてGTPに反応しなくなる変異体の形を作り出し、それをマウスのがん細胞に入れます。するとどうなったか。がん細胞が増えなくなりました」 

 タンパク質は、アミノ酸から作られている。がん細胞は、増殖を続けるために、正常なタンパク質を分解してアミノ酸にし、それでがん細胞の増殖に必要なタンパク質を作る。GTPセンサータンパク質は、この手助けを無用にやってしまっていた。 

 「このタンパク質の変異体をデザインして作り出せば、がん細胞の増殖を止められます。タンパク質が細胞内の複雑なネットワークの中でどのように働いているのか。それを一つ一つ明らかにしていく研究を、私たちは続けています」